「音楽で紡ぐ人の輪、愛の和」
16歳の頃、タイガーマスクになる夢を諦めて、憧れのロック・スターを夢見て音楽を始めました。はい。音楽を始めた切っ掛けは、いわゆる女の子にモテたいではなく、自分の憧れている音、自分の出したい音を出したいからです。そして、音楽の仲間を増やすために甲陽音楽学院へ進学しました。
学生時代は、柄シャツを着てベルボトム姿でいつでもレッドツェッペリンに加入出来る準備をしてました。音楽をしながら音学をしてましたね。
小さい頃からピアノやエレクトーンを習ってたわけでもないので下手くそコンプレックスがありましたが、そんな事は一旦置いといて、学生仲間とよくセッションしたり、楽器を持ってる時だけではなく、遊んでいる時もバイトをしている時も、友人と喋ってる時も。全ての時間が音楽に跳ね返ってくると信じて日々ハイセンスに遊んでました。
学校に進んでよかった事は、あえて音楽というものを音学という観点で言わせて頂くと、沢山ある音から自分のやりたい事という目線で、「それをやるにはこんなんはどう?」っていうヒントを頂けた事です。
選び方、センスの出し方は人それぞれ違うと思うのですが、いろんな目線で見比べ、聴き比べて選べて適材適所で判断する能力は、客観的に判断してもらって気づけるところだと思います。
そういう事の繰り返しだと思いますが、自分の音、自分の魅力を踏まえた上で最高のパフォーマンスをする為のヒントは学びながら、遊びながら得れたと思っております。周りの人たちに感謝しております。
「音楽から好かれるようになる」
普段気をつけているのは、「音楽から好かれるようになるにはどうしたら良いか」という事です。かつてミッキー吉野さんに「音楽に好かれる為には音楽を愛し続けてやりなさい」と、言われた事があるんです。そこで音楽に好かれるために実践してることは、全ての行動においてメロディーとリズムとハーモニーと構成を意識するようにしております。
意外とそこから曲作りが出来たりするもんです。これをしてたら音楽の女神がいつかは微笑んでくれるかな?と。もっともっと、遊び心とユーモアを自分の音楽に入れたいですね。
略歴
1978年10月19日生まれ、大阪府出身。
オオサカズのキーボーディスト。
16歳の頃、タイガーマスクになる夢を諦め、憧れのロックスターの影響で格好から音楽を始める。
音楽仲間を増やすために甲陽音楽学院へ進学、日々セッションに明け暮れる傍ら佐伯準一氏に師事しローディーを始める。
2000年にA.S.P、BAGDAD CAFE THE trench townの結成から、中島らも&Mother’sBoys、BOWLING NO.9、Channel2、THE YAKETY
YAKS、奇妙礼太郎トラベルスイング楽団のキーボードを担当する。
とくにオルガンとシンセサイザーを駆使しロック~ジャズ~レゲエ~テクノ、メジャー~インディーズ、FUJI ROCK ~ STREETまで、ボーダレスに活動し守備範囲の広いキーボーディスト、トラックメーカーとして知られるようになる。
また様々なアーティストのレコーディング、アレンジ、ステージをサポート(あいみょん、鮎川誠、石田長生、ウルフルケイスケ、大槻ケンヂ、おかん、カジヒデキ、奇妙礼太郎、こだま和文、サンコンJr.、空きっ腹に酒、多和田えみ、中島らも、中納良恵、町田康、ムッシュかまやつ、ワンダフルボーイズ、AFRA、Ajara、BES、bonobos、cutman-booche、DOZAN11、DUBSENSEMANIA、ET-KING、F.I.B
JOURNAL、JTB、keyco、KING BROTHERS、lecca、Leyona、Likkle Mai、m-flo、Metis、Miss Monday、MOOMIN、PAPA U-Gee、PUSHIM、RYO the
SKYWALKER、RANKIN TAXI、 SUGAR SOUL、SHINGO☆西成、Spinna B-ILL、YO-KING、yutaka、卍LINE・・・)しながら独自のハッピーで八方美人かつロックなキーボードスタイルを構築中。
元々音楽家を目指して楽器を始めた訳ではなく、キーボードの音に興味があったので「この音を出すにはどうしたら良いのか?」「あんな格好が似合うようになるにはどうしたら良いのか、どこに売ってるの?」なんかを研究してました。
いわゆる70年代のロックが大好きだったのでアナログシンセサイザーやハモンドオルガンに憧れを抱いてました。
僕が10代の頃は『インターネットで検索したら答えを見つけれる』という時代ではなかったので、キーボードマガジンを端から端まで何度も読んだり、ライブハウスの楽屋にコッソリ忍び込んで大好きなキーボード奏者に「どうしたらあの音出せるんですか?」と、直接インタビューしに行ってあの音はシンセサイザーなんや、オルガンなんや、こういうセッティングしたらあの音が出るんや!と、日々メモしてました。
そして現在、アナログシンセを弾けるなら、オルガンを弾けるなら、是非演奏させて下さい」の精神で、どの現場でも「自分らしさ」を持ち込むスタイルを確立できたのかなと思います。
キーボード奏者になってから、インストラクターの仕事も頂まして、17年以上になります。この仕事ではずっと、自分の理想の先生像をおっかけてます。こう言う事を言うてくれたら好きな兄ちゃんやな的なところを大事にしてます。
モットーは「嘘は言わない」です。音楽はいろんな解釈が出来るのでこれが正解というのはないと思ってます。ですから、自分目線が絶対ではない事を頭に置きながら、生徒さん達の目線でも音楽を見ていける、そんな指導の仕方をしていきたいです。
よく『音楽学校に行く利点は?』と質問されます。そんな時は、『音楽仲間を増やすためにどうですか?』と答えています。
音楽仲間なしではこの業界ではやってこれてなかったです。自分の音楽を通して音楽仲間を増やして、今も一緒にお仕事させていただき最高です。
『音楽仲間を増やすため』にも大阪JBG音楽院で、同じ悩みを持った学生と共に楽しくスキルアップを目指し『音楽に愛される自分を構築』出来るよう、一緒に頑張りましょう!