DTMと作曲の学校:【世界標準の作曲法】【DTM/Mix/歌詞/Finale等も学習可】【学費月々3万円台〜】【東京校|大阪校】【週1講義】【社会人90%】【女性40%以上】

講師の紹介

荒木 健 講師

音楽を通じて、大切な人たちと出会い、本当の自分と出会う。

荒木 健

物心付けば家にはピアノがあってギターがあって、サッチモ(ルイ・アームストロング)のアルバムがあって・・・
「自分は何の楽器をやろうかな?」と思い、手にしたのがベース・ギター。「小さい(年齢の意味で)のに、弾けるのか?」というようなやり取りが、今日の私-ベース奏者であり作曲家でもある一人の音楽家の第一歩でした。 12歳からベースを始めてすぐに、洋楽-特にブラック・コンテンポラリーとAORにどっぷり浸かり、15歳の時にカシオペアのコピー・バンドでライブ・デビュー。ソウルとフュージョンをやり続けて大学入学と同時にスタジオ・ミュージシャンの「バイト」と自分のバンドで、あこがれる「黒人のノリ」を追求していました。
大学卒業後、首都圏を代表するFMミュージック・ステーション、J-WAVEに勤務しながら、リーダー・バンド「BandaSujahta バンダスジャータ」を率いてライブ活動を行っていた頃、仕事を通じて多くの素晴らしいミュージシャンに出会いました。マーカス・ミラー、ラリー・グラハム、T.M.スティーブンス、アルフォンソ・ジョンソン、ナイル・ロジャース、そして少年時代から憧れていた、クインシー・ジョーンズ。雲の上の存在だった彼らに教わった事は、「音楽に隔たりはない」ということです。国境、人種、年齢、プロアマ問わず、音楽は人と人を、心と心を結びつける素晴らしい芸術。そして音楽に携わる事の誇り高き人生。彼らの後押しを受けて、音楽に生きる道を選択し、勉強と研鑽の旅-アメリカ留学を決意しました。

私自身が音楽を本格的に勉強し始めて分かった事は、その奥深さ、果てしない可能性、何よりも数百年に渡って研究され、体系化されてきた技術とセオリーの完成度の高さです。学ぶほどに湧き出る自分自身の音楽に、喜び、また驚きました。そうした音楽を通じての感動は、今日、この瞬間にも尽きることはありません。毎日の音楽の中に、新しい自分を発見し、この音楽が、大切な人たちとの出会いに繋がっています。

留学時代に演奏技術を極めるつもりで始めた勉強は、自分の中にもう一つ、大きな命題を与えてくれました。それは「作曲」です。ベースという楽器は、音楽全体のハーモニーの土台であり、メロディの一部であり、リズムの要です。より良いベース・ラインを演奏するための努力は、作曲と編曲への強い関心度も高めていったのです。演奏活動と創作活動は、音楽家-あらゆるミュージシャンにとっての両輪を担うものです。演奏が得意な人は作曲やアレンジの勉強をし、創作が得意な人は楽器の練習をバランス良くおこなっていくことで、より一層、音楽のレベルがあがっていくと考えています。

音楽講師としては、特殊な経歴を経て、プロフェッショナルとして活動してきて10年。この大好きな音楽、掛け替えのない音楽、多くの先人達が遺してくれた軌跡、私自身が先生達から教わった技術と音楽の心を、ひとりでも多くの人に伝えていきたいとの思いから、講師、研究者としてのキャリアをスタートさせました。有難い事に、音楽教室、専門学校、大学等から講義に招いて頂き、多角的な視点から音楽を見る機会を得ています。

そしてこの度、JBG音楽院で講師としてスタートすることになりました。私がこれまで経験してきた音楽を余すところなく、皆さんにお伝えしていきたいと思います。作曲家、演奏家を問わず、ひとりでも多くの音楽家に成長していって頂ける事が、私自身の存在意義でもあります。楽しく、ワクワクするチャレンジの始まりです。

JBG音楽院へご入学をご検討の皆様へ

音楽が大好きだけど、楽器の練習に抵抗があったり、譜面や理論に苦手意識があったり、あるいはコンピュータが不得意だったり、そのような理由でためらっている方たちに、音楽の楽しさは元より楽譜や理論の入り口を優しく丁寧に教えたいと思っています。

JBG音楽院では、バンド曲の成り立ちやメロディとハーモニーの仕組みをわかり易く勉強していきます。意外と頼りになるDTMソフト、思ったより簡単な楽譜の仕組みを理解して、心に浮かんだ「自分の音楽」を作品にしていきましょう。

私自身、27歳までろくすっぽ譜面は読めませんでした。音楽を始めるのに年齢は関係ありません。大切なのは、音楽が大好きだ!という皆さんの気持ちです。その想いに私達JBG音楽院が応えます!まずは、電話でもメールでもお問い合わせください。入学説明会も行なっておりますので、皆さんの悩みのご相談に応えます。音楽が必ず分かるようにバックアップしますので、がんばりましょう!

略歴と実績

略歴

早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒業。主専攻は都市社会学。

卒業後、株式会社東芝勤務、重電機器の営業開発に携わる。
在京FMラジオ局J-WAVEに転職。営業・営業促進部、イベント企画を担当。かたわらで自身のリーダー・バンド「BandaSujahta バンダスジャータ」を率いて約7年間、東京を中心に活動。

ニックネーム「basskie」はJ-WAVE在職中、クインシー・ジョーンズから贈られる等、来日したアーティストと幅広い交友関係を持つ。

1999年3月よりアメリカ。

Los Angeles Music Academyの奨学生として留学。ベースと現代音楽全般を勉強。
主にDave CARPENTER(B)、Jerry Watts JR(B)、Ralph HUMPHREY (Dr)に師事。

2000年3月にはカリフォルニア州立大LA校における、第15回ジャズ・コンテスト、学校選抜で出場。バンドリーダー、ベースを担当しスモール・コンボ(小編成)部門で優勝。エレクトリック・ベース奏者として、またアジア人として初の快挙。卒業後からLAエリアにてスタジオ/ライブ・セッションにて活動開始。

2000年10月、作詞・作曲、ストリングス・アレンジ、レコーディングプロデュースを手掛けたクリスマス・ソング「Miracle」(ホリー・コール:東芝EMI、Toronto録音)発表。20世紀最後のJ-WAVEクリスマスソングとなる。

その後、作曲家、アレンジャー、プロデューサー、東京とLAで演奏活動を開始。ラジオ局時代に培ったノウハウと音楽研究者としての独自の感覚を取り入れて、コマーシャル音楽、ジングル、サウンドステッカーなど制作。多数のラジオCMにおいて、ナレーション録音から素材制作までオール・イン制作を請け負っている。J-WAVE勤務時とLA音楽活動で構築した幅広いミュージシャンの人脈をもとに、アメリカを中心に演奏活動、作品提供参加している。

2002年より、研究の為バークリー音楽院入学。最先端の理論を極めるべく邁進。ジャズ全般の研究と映像音楽制作研究を継続中。

2002年夏期 成績優秀表彰(Deans List)

2002年8月、ジャズピアニスト/作曲家の秋吉敏子についての研究論文を発表。 同大学「Survey of Jazz Arrange and Composition」の副教材として採用されている。

2004年度 アジアパシフィック広告祭 銅賞(日産スカイラインWEB)

2007年1月よりSoul Arrow Music School  ベース講師

2008年4月より日本工学院八王子専門学校非常勤講師。

同年7月よりローランドRMS渋谷首都圏センター専任講師。

2009年4月より江戸川大学非常勤講師

主な楽曲提供(国内)

  • Holly Cole「Miracle」東芝EMI 作詞・作曲・アレンジ
  • ERi「Shining Day」3rd Record 作詞・作曲・アレンジ・ベース・プログラミング

パフォーマンス

  • CPT. Soul (東京)
  • Jessica Stone Band(ロサンゼルス)

主な映像BGM、コマーシャルBGM、ジングル楽曲提供

  • 日産自動車 スカイラインWebプロモーション「ドライブジャパンプロジェクト」BGM
  • ANA×NISSAN Project Webプロモーション「いつか行きたい場所がある」BGM
  • 積水ハウス「住まいの夢工場」施設紹介ビデオ、TVCM
  • セイコーウオッチ「Credor Node」製品紹介ビデオ、TVCM
  • AU by KDDI Contents「EZ-Channnel」BGM
  • i-Stream 「Island Stream from Hawaii」BGM ジングル

音楽バックグラウンド:講師として

Never be late

これまで、DTM/作曲アレンジ、ベース演奏の両方で、100人以上の生徒を担当してきました。
年齢も音楽的背景も幅広く、中学生から50代の方、クラシック系の音楽大学の学生・卒業生、バンドマン、OL、サラリーマンから会社役員の方までいらっしゃいました。
そんな生徒は目指す方向も様々です。プロの作曲家を目指す人、バンドのデモを作りたい人、本格的な趣味で取り組む人、家族が集まる場所で自分の曲を演奏したい人、ブログやニコ動でオリジナル曲を発表したい人、シンガーソングライター、などなど。

そんな皆さんに伝えている事があります。

「Never be late」
-音楽を始めるのに、「時遅し」ということはないという事です。

楽器を演奏する事や、メロディや歌詞を作る事に、運動選手のような特別な体力は必要ありません。司法試験を受けるような膨大な知識も必要ではありません。だから音楽をやることは「時間切れ」や「引退」はありません。あなた自身の「今の熱意」があれば、それが始める時なのです。

表現力

もちろん、本格的な音楽を作ったりするには、音楽理論や演奏技術を修得する必要があります。基本的に音楽は「芸術=アート」であり、人は他人の優れた作品に対して感動を覚える生き物です。そして、アートの表現力をより高くするために、この理論や技術が最も大切になるのです。

私はいつも、生徒にこう伝えています。「音楽を学ぶ事や作曲/アレンジのために必要な音楽理論の修得、楽器の基礎練習は、自己の感性を自由に解き放つ武器」であると。
人間の感性は無限大の可能性を持っています。的確な表現技法を身につける事で、メロディやインプロビゼーションが輝きを増し、より深くリスナーの心に届くことでしょう。逆に言えば、音楽理論を始めとする「土台」がなければ、表現力の限界は、すぐに訪れ音楽自身を好きでいられなくなってしまうのです。良いアーティストになるには、絶対的な音楽の土台を作ることから始まるのです。

プロフェッショナルとして

私が「講師」というフィールドに乗り出した理由は、アメリカ留学時の先生方からの教えにあります。

「音楽家は、常に、演奏出来なければならない。新しい表現が出来なければならない。そして誰かの疑問に、全て答えなければならない。それがプロフェッショナルというもの」ということです。

この考え方は、職業として音楽家を志して以来、私自身が追求する生涯の道標となっています。演奏家、作曲家であると同時に、研究者であり、伝承者であり、そして講師なのです。
講師は生徒にすばらしい音楽を伝えることが仕事であり、また音楽の素養を、惜しむことなく生徒に伝えるということが、プロフェッショナルとして、最大の喜びだと確信しています。

音楽バックグラウンド:作曲者として

ひとつの作品が与えてくれる経験、それは音楽家にとっての宝物。
レコーディングは極上の喜び。

プロフェッショナルとしての最初の作品は思い出深いものです。2000年に録音しリリースされた「Miracle」は、幸運にも当代カナダを代表するシンガー、Holly Cole が歌い、J-WAVE クリスマスソングに採用されました。

曲のアイデアは1998年位から温めていて、LA留学中の1999年に完成。2000年の暑い夏にカナダ、トロントでのレコーディング、東芝EMI(当時)とJ-WAVEの皆さんの数え切れない程の後押しを頂いて結実しました。

発売日に全国の友人から届いたメッセージは、いつまでも忘れる事はありません。この曲制作を通じて、自分自身が音楽に対して果たす役割が何か、追求したいものは何かを見つられたのだと思っています。

コマーシャルの経験 〜人間力を高める現場〜

マスメディアの営業マン、企画マンとしても過ごした経験から、数多くのCM用BGMを制作する機会を頂いてきました。テーマ曲を作る仕事には、歌を作る事とは別の「独特なダイナミズム」が存在します。

CMの主役はあくまで商品やブランド、映像や言葉ですが、背景を彩る音楽は単なる脇役ではありません。観る人、聴く人のイメージを掻き立てる大切な役割を担っています。音楽は送り手と受け手を繋ぐためには、欠かすことのできない存在なのです。かといって、無個性な楽曲は求められません。ストーリーの洞察力と、行間にあるイメージをメロディにする事は、作曲家にとって大変なチャレンジです。なおかつ、限られた秒数、タイミング、ダイナミクス、バランスを考慮したプロダクションを完成させるためには、音楽のあらゆる要素に耳を傾けている必要があるのです。また、コマーシャル制作の一端を担う事は、様々な業種、職種の人達と精力的に交流を深めて自分を高めていく素晴らしい機会ともなります。こうした経験や感動が、さらなる表現力を高めることにも繋がっているのです。

作曲家としての仕事を向上に努める事で、人としての成長に繋げたいと考えています。音楽とは本来、そのような仕事であるはずです。

音楽バックグラウンド:ベーシストとして

I play for music

演奏をし続けるからこそ見えてくる「新しいもの」があります。この楽器(ベース)を手にしてから30年経ちますが、いまだに飽きる事がありません。きっと毎日が発見に溢れていて、音楽に惹かれ続けているからだと感じています。
ベースという楽器。例えるなら、家族にとっての「家」。一緒にアンサンブルを奏でる仲間達が安心して帰ってくる場所。みんなを送り出す場所。振り返れば、必ず支えてくれる堂々とした存在。とでも言えましょう。だからこそ、「リズムの要」「ハーモニーの土台」そして、「メロディの一部」なのです。

12歳からベースギターを始めて、中学3年生の時に学園祭に初出演。本当はソウル・ミュージックが大好きだけれど、歌えるボーカルがいないので、バンドはもっぱらフュージョン。演奏した曲はカシオペアの「Black Joke」という曲でした。高校時代は競泳をやりながら春と秋はライブハウスや学園祭でバンド活動。寝ても覚めても演奏していました。
18歳、大学進学するとすぐに「バイト感覚」でカラオケのスタジオ・レコーディングの仕事を始めました。当時のディレクターさんには本当に感謝しています。若かった私にいろいろ勉強させて頂きました。

社会人になってからもずっと自分のリーダーバンドを続けていました。ある時、お得意先のイベントで演奏する機会を得ました。そこで当時、ナラダ・マイケル・ウォルデンのバンドで来日していたベーシスト、T.M.スティーブンスに出会い、ステージで怒涛のセッションをこなした後、「ヘイ!アメリカに来い!アメリカでジャズを勉強しろ!君のグルーブならプロでやっていける。必要なのはジャズだ!練習し続けろ、勉強し続けるんだ!」 と、両肩をつかまれて真顔で言われて、ならば本気で勉強してみようかと思い立ち、留学するきっかけとなりました。27歳の時でした。

それからは、平日はJ-waveの営業マン、週末は日曜教室に通う日々が始まりました。そしてすぐに気が付きました。「あぁ、ベースは弾けても、自分は音楽についてほとんど知らないんだ」という事を。コードもスケールも上っ面だけ。楽譜もろくすっぽ読めない自分がすごく恥ずかしく、なんて思い上がっていたんだろうと、愕然としたのを覚えています。

私が本格的にジャズ理論を勉強し始めたのはその後。ジャズベースとインプロビゼーションを始めたのは29歳からです。周りに追いつき、追い越せという気概で取り組んできました。
ジャズをきっかけとして音楽を勉強する過程で、当たり前のように、今まで経験してこなかった他のジャンル(ブラジリアンやアフロ・キューバン、クラシック)等、ほとんどの音楽に関心を寄せていきました。音楽の根底にある本質は共通しているのです。
そして今、あらゆるジャンルを演奏してきた事で「自分」を作り上げたのだと思います。

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